残 光

 

冬の日は短い。
早く帰らなければ、そんな気分にさせられる。
昼間は暖かい太陽も、夜になれば闇に熱を奪われ、寒さが身に堪える。
「もう、帰らなくては…」
ジュリアスは呟いた。
「まだ早い」
クラヴィスが言う。
断定口調で言われても、歩いて帰るのは自分だ。
クラヴィスの願いはわかるが体調を崩すわけにはいかない。
共にいたいのは己とて同じだが、そうも言っていられない。
早くしなければ、夕暮れは急激にその温度を下げていく。

殊更にゆっくりと帰り支度をした。
持って来ていた本の中に何か挟んでいないかどうか確かめる。
読んでいないのだから挟まっているはずもないのだが、それでも確かめる。
髪を梳く。
乱れていないのだから梳く必要も無いのに。
鏡を見て服を整える。
彼が服を乱す事など無いのに。
部屋の主はいない。
引き止めることに失敗した彼はどこかへ消えてしまった。
挨拶をしなければジュリアスが辞去出来ないことを知っているのに。

ジュリアスといられる時間は短い。
けれど、クラヴィスにはジュリアスに泊まっていけなどとはいえない。
我侭を言ってどうなる訳でも無い。
互いに互いを知り過ぎるほどに知り尽くしているから、自分の望みを突きつけること
ができないのだ。二人は時間が経てば立つほど要求を通せなくなっていった。
会いたいとか、共にいて欲しいとか。
恋人であれば当然の欲求であるそれが相手に負担になると分っているから。
疲れた顔をさせたくない。
時間が経つにつれて己の欲求を隠す事が上手くなっていくのは仕様が無い事だったの
かもしれない。例えそれが相手に不安をもたらしたとしても。

今日のような事は本当に久しぶりのことだった。
クラヴィスがジュリアスを引き止めるのは。
負担をかけたくないから、二人きりになるのは週末の午後だけ。
それが暗黙の了解なのに。
冬の日暮れは物悲しいから。
暗くなっていくのを一人で見つめるのはやりきれないから。
どんな想いからだろうか。
いつもと同じ帰り道。
いつもと変わらぬ夕暮れ時。
帰ったそのあと彼は何をするのだろうか。
夕食を食べて、入浴して、時折酒を嗜んで。
それは己のいない彼一人だけの時間。
それが悲しい。

「クラヴィス?クラヴィス?どこにいる?私は帰るが…」
帰ろうとクラヴィスを呼んだ。しかし、クラヴィスは出てはこない。
「クラヴィス?出て来なくとも帰るぞ?言ったからな」
それでもクラヴィスは出て来ない。私は五分ほど待って、それでも出てこなかったので
執事に辞去すると伝えて、クラヴィスの屋敷を後にした。

いつもより遅くなってしまったので早足で帰る。
夕暮れ時は過ぎ、まわりは既に闇で埋め尽くされている。
「だから嫌なのだ…」
口の端に上らせれば、余計に苦しくなった。
日のある内に帰るのは帰りたく無くなるのを防ぐ為。
クラヴィスと共にいたいと思うのは、当然の事。
闇の中では特に一人が辛い。
それはクラヴィスを得てから知った感情。
いつから己はこんなに弱くなってしまったのか。
それを認めたくなくて、強がってはいるけれど、こうして一人になって無防備に成れば
すぐにその想いが噴出してくる。


…屋敷に戻れば書類が待っているのに、月の曜日からの執務に備えて準備し、身体を
休めなければならないのに。彼の時間を奪ってはならないのに。
それなのに。
足は踵を返す。
ぽつりぽつりと歩み出す。それが少しずつ早くなって…。
いつのまにか駆けていた。
早く会いたい。
笑われたっていい。
うるさいと言われてもいい。
来るなと言われてもいい。
クラヴィスといたい。
「クラヴィス!」
叫んで扉を開ける。
果たしてそこにはクラヴィスがいた。
「…忘れ物でもしたか?」
その声に彼がその可能性を考えてもいない事に気付く。
気持ちが途端に萎えていく。自分ばかりが盛り上がっていて…恥ずかしかった。
所詮別の人間。同じ事を考えているわけはない。
口を無理矢理開けて言った。
「本を置いて行こうと思ったのだ。次に来た時に持って帰るから、預けておいても
良いか?」
「そこに置いておくがいい」
指し示されたテーブルの上にことっと音を立てて本を置いた。
「では、また来週に…」
そう口篭もるとジュリアスは屋敷を出た。
暗闇の中、ざくざくと音を立てて道を歩く。
早く屋敷に帰りたくて、早く明かりの元に出たくて、早くクラヴィスの屋敷から
離れたくて。それなのに、足は重い。
暗闇は心細くなると分っているのに、やはり足は重い。
ジュリアスは立ち止まると木の根元に腰掛けた。
少しだけ休んで帰ろう。そう思った。このままでは歩きながら泣き出しかねない。
息をするのも苦しくて喉の奥が絞めつけられるように痛い。目の奥も熱い。
ゆっくりと大きく口を開けて、何度も息をする。
肺一杯に空気を吸うことで胸の痛みが幾分和らぐ。
ジュリアスは立ち上がると再び歩き始めた。

「ジュリアス?」
再び外を見ていたクラヴィスの目にジュリアスが映った。
気が変わって本を取りに来たのだろうか。
急いで階下に降りる。
扉を開ければジュリアスがそこにいた。
「泊めてもらえぬか?」
どういう事を言っているのか二人とも分り過ぎるほどに分っている。
「抑えきれる自信が無い…それでもいいなら」
その言葉にジュリアスは神妙な面持ちで頷く。その顔に真実を告げる。
「待っていた…ずっと」
ずっと、お前の帰る後姿を見つめながら思っていた。
戻って来いと。一度も戻ってきた事はなかったが。だから。戻ってきた今日はお前に
覚悟が出来たのだと、そう思いたい。どうしたって共にいればお前を思いやることは
難しくなってくる。夜の闇に己の望みを抑える事など出来ないから。

乱れ、求めてくるジュリアスが愛しい。
お前はいつも己を殺してしまうから。もっと求めるがいい。いくらでもやろう。だか
ら、私にもお前を与えてほしい。私も求めるから。
無理は言わぬ。だが、堪える事だけはしないで。

共に闇の時を過ごし、迎える朝。
あれほどに捕らわれていた闇は朝の光に浄化される。
朝の太陽に温められた地面から湯気が立ち上る。
光の中で湯気は白く光って空へと舞い上がっていく。まるで夜の毒を浄化するかのよ
うに。
褥から身じろぎをする音が聞こえる。
「ん……ク…ラヴィ……どこ…?」
寝ぼけているのか幾分舌ったらずな声を上げながら、まだ温かいであろう私の居た場
所に手を伸ばし探すジュリアス。
見つめていると、はっと手が強張りいきなり起き上がり私を探す。そして私を見つけた
ジュリアスはホッとしたように息を吐いた。起き上がった際に腰まで上掛けが
落ちたせいで上半身が顕わになる。そこには私の散らした欲求の痕。共にいたいと、
いて欲しいと願ってつけた痕。
愛しい。
お前が堪らなく愛しい。
「クラヴィス…もう一度…」
今日はまだ日の曜日だから。
お前が言外に含ませた意味に驚く。
素直に望みを言うお前に私も告白しよう。
「一度などでは終らせぬ」
今宵も夕暮れまで引き止めたらまたお前は共にいてくれるだろうか?
…何を馬鹿な事を。だが闇に捕らわれぬよう、愛を確かめ合う事ぐらいは許して
くれるだろう?ジュリアス。

 

<Fin>