湯気に白く塗りこめられた風景は、朝靄に煙る聖地の森のように幻想的で、思わずジュリアスの口から溜息が漏れた。奥に位置する浴槽はさしずめ湖か、ジュリアスは嬉しくなって後ろに立っているクラヴィスを振りかえる。
「ああ、聖地の朝靄のようだな…」
クラヴィスの言葉に互いが同じように感じていたのだ、と思い一層喜びが増す。聖地にあってはいつもすれ違うばかりの二人だったが、ここでは驚くほど気持ちが通い合う。ジュリアスは蒼の瞳を緩め、クラヴィスに微笑みかけた。
クラヴィスもまた、不思議と心が通い合うことに戸惑いつつも久しく感じていなかった気持ちの高揚を覚える。
「ちょっと〜何見つめ合ってんの?早く入んなよ〜」
オリヴィエの声に我に返った二人は、バツが悪そうにそそくさと離れ、洗い場へと移動して行った。
一人一人仕切によって区切られた空間は、隣を気にせず洗うことが出来る。少し閉鎖的な気はするが、確かに気は楽だろう。
ジュリアスは仕切越しにクラヴィスの様子を探っていた。シャワーを流しながら身体を洗っているようだった。少し椅子を引いて仕切越しに覗いて見た。
日に当たったことのないような肌の色は、むしろ蒼褪めていて、陶器のような冷たい感じがした。だが、触れればそこには暖かな血が流れていることは、先ほどの接触でジュリアスには分かっていた。無造作にゴシゴシとタオルで洗っている姿は、闇の守護聖として聖地にあるクラヴィスからは想像も出来ないほど、人間らしい仕草だった。ジュリアスは可笑しさがこみ上げてきて、ついには声を出して笑ってしまった。その声のほとんどは、年少組のはしゃいだ声や、流しっぱなしのシャワーの水音にかき消されたが、すぐ側にいたクラヴィスにはしっかり聞き取れたようだった。
「なかなかいい趣味だな、ジュリアス?」
仕切の影から顔を覗かせているジュリアスを振りかえり、クラヴィスが低く言う。
「すまぬ…」
さすがに後ろめたいのか、些か頬を紅潮させジュリアスが謝る。そのまま仕切の向こうに姿を消すジュリアスに、クラヴィスが珍しく声を立てて笑った。
中々驚くことが多い旅行だと、クラヴィスは思う。自分が思っていたジュリアスは実は全く違うものだったのではないか、と思わせるほど色々なジュリアスに出会う。常日頃自分を全く理解しないジュリアスを責めていたが、実際自分もジュリアスのことを理解していたとは言い難い。クラヴィスは下らないと思っていた旅行に案外載せられている自分に可笑しさがこみ上げた。
「わあ!」
突然隣から叫び声が聞こえた。
「ジュリアス?」
先ほどのジュリアスのように、仕切越しに覗いて見ると,ジュリアスが全身濡れ鼠になって振り返った。シャワーのお湯が頭から降り注いでいる。
「……ジュリアス」
「シャワーが突然出たのだ!」
いささか興奮気味のジュリアスを制して、クラヴィスが立ち上がり湯を止める。
「どういうことだ?」
湯を止めジュリアスに問うと、興奮冷め遣らずといった雰囲気でジュリアスが話し始めた。
「だから、ここを回したのだ。」
ジュリアスが赤い蛇口を指して言う。クラヴィスが頷くのを見て、続ける。
「それから、ここを回したのだが、なかなか湯が出ぬゆえ、最初がちゃんと開いていなかったと思って、もう一度回したのだ。」
クラヴィスの視線がジュリアスの指すもう一つの蛇口に縫いとめられている。
「で、もう一度こちらのを回したら、こうなったのだ!」
威張って言う事か、とクラヴィスは思うが、ここは辛抱強く聞き出さなければならない。
「ジュリアス…下から湯が出ていなかったか?」
クラヴィスが言う事が少しも分からないように、小首を傾げて見つめるジュリアス。
「シャワーを見ていたので、わからぬ」
単純明快な答えにクラヴィスは額に手を当てた。説明する気も起きない。クラヴィスは痛む頭を押さえつつ、言葉を継ぐ。
「カランとシャワーの違いがわかるか?」
「からん?」
分かっていないらしい。不思議そうにこちらを見つめてくる蒼の瞳に、脱力するクラヴィス。
「この蛇口が、お湯の出る蛇口だ」
ジュリアスが最初に回した赤い蛇口を指して言う。
「で、これが、シャワーかカランを区別するものだ」
2番目にジュリアスが回した蛇口を指して言う。感心したように頷くジュリアスを見て、よりいっそう頭痛がひどくなりそうなクラヴィスは、勤めて冷静な声を出すよう努力する。
「コレをこちらに回すとカランといって、下からお湯が出る」
ジュリアスの目の前でやってみせる。
「反対にまわすとシャワーが出るようになっている」
ジュリアスをシャワーの下から遠ざけお湯を出す。
感心したように手で湯を受けているジュリアスを見て、クラヴィスは一連のジュリアスの行動を思い返してみた。嫌に旅行を拒否していたこと、来てからの様子のおかしかったこと。スーツケースのカギ、先ほどのタイ、そしてシャワー。もしかして、ジュリアスは自分で何も出来ないとか、そういう事なのだろうか?
クラヴィスは必死で少ない思い出を振りかえる。そのような様子は無かったと思うのだが…。
「ジュリアス?」
呼びかけに振り返ったジュリアスの顔が柔らかく微笑んでいる。聖地で何時も見る眉間の皺など、なかったかのように幼い表情のジュリアス。この表情を歪めるようなことはしたくない。クラヴィスはそう思い、ジュリアスの髪に手をやった。
くくっていた髪を解きシャワーを当てる。気持ち良さそうに眼を細めるジュリアスに庇護欲をそそられたのか、そのまま何も聞かないで濡れてしまった髪を洗ってやることにした。