二人が去るのを確認して、ジュリアスを見ると、零れんばかりに双蒼を見開きこちらを見つめている瞳に出会った。
「ジュリアス?」
訝しげに声をかけると、大きく幾度も瞬きを繰り返し、じっと見つめてくる。
「なんだ?」
重ねて訊くのに、ジュリアスが視線はそのまま答えた。
「そなたでも怒ることがあるのだな…」
視線とは裏腹にぼんやりとした声音で綴られる言葉に、クラヴィスはどう反応して良いのか戸惑いつつ視線を重ねる。
「どういうことだ?」
「そなたが声を荒げる所など、今まで見たことがなかった…」
言われて初めて気づいた。そういえば、ついぞ声を荒げたことなどなかった。
「お前はいつも起こっているがな…」
そう言った途端,ジュリアスの眉間がきゅっと寄る。その下に位置する瞳が潤み悲しそうに伏せられるに至り、クラヴィスは自分の愚行に気づいた。
向かい合わせに座っていたジュリアスが、すっと踵を返し背中を向ける。ただ前面に鏡があるため。その表情は余すところ無くクラヴィスに知られてしまうのだが。そんなことに気づきもせずジュリアスは今にも泣き出しそうな表情でじっと俯いている。
オスカーならば、こういう時に何か気の利いたことでも言って、すぐに機嫌を直させるのだろうが、クラヴィスはどうしていいやら、途方にくれる。
クラヴィスは、とりあえず途中で止めていたシャンプーの続きを無言で始めることしか出来なかった。
「ね〜え〜どう?どう?」
オリヴィエが自分の腕を持ち上げ皆に見せている。
「あ〜なんですか〜?オリヴィエ?」
ルヴァがゼフェルに浴衣を着せ掛けながら答える。
「だ〜か〜ら〜ワカンナイ?この艶!見てよ見てよ〜」
今度はリュミエールに絡みだした。
「ああ。そういえば、そうですね…」
どう見てもあまり変わったようには見えないが、取り合えずそう答える水の守護聖。さすがは優しさを司るだけあると、オスカーはげんなりして思った。
「でしょ!やっぱりね〜リュミちゃんは分かってくれると思ってたんだ!」
オリヴィエが次のターゲットを捜し視線を巡らせると、隅の方で着替えているクラヴィスとジュリアスに気がついた。
「あら〜?さっきまであんなに仲良かったのに…」
すでに着替え終わっているクラヴィスと、未だにもたもたと浴衣を羽織り帯を結ぼうとしているジュリアスがいた。クラヴィスが手を出そうとすると、ジュリアスがするりと身をかわす。何度もその繰り返しで、ジュリアスはせっかく八分通り結ばれた帯をするりと落としてしまう。
「なにしてんのかしら?あの二人…」
オリヴィエが呟くのと同時に、その脇をさっと赤い風が走った。
「ジュリアス様!」
オスカーが慌てて二人の間に割り込み、ジュリアスを抱きこんだ。
「え?オスカー??」
驚いてジュリアスが声を詰まらせる。反射的にクラヴィスに助けを求める瞳を向けるが、思いなおしたように首を振る。
「大丈夫ですか?ジュリアス様」
オスカーが声をかけるのに、ジュリアスが訳も分からず頷く。それに安心し、抱く力を少し緩めて顔を覗きこむ。湯上りのせいか、そこここがほんのり桜色に色付き、肌もいつもよりも艶めいて見える。オスカーは、うっとりとその姿に見とれた。
「ちょっと!なにしてんの!!」
オスカーの幸せな一時は無粋な声に邪魔をされ、儚く消え去ってしまう。
オスカーから強引にジュリアスを助け出し、オリヴィエがてきぱきと浴衣を着せ掛けてやる。
「うわ、ジュリアスあんたすっごく腰が細いじゃないの〜」
オリヴィエが帯を結びつつ唸る。いつものずるずるとした正装から思っていた体型よりも遥かに細い。リュミエールほどの細さではないにせよ、乗馬や剣術も嗜んでいる筈なのに驚くほど華奢な造りだ。労働を強いられない階級特有の繊細な肢体は、さすがにすばらしく美しい。
ついでにあちらこちらを触りつつ、オリヴィエは何度も感嘆の溜息をつく。
「オリヴィエ?」
とっくに着付けは終わっている筈なのに、そこここを触られ、ジュリアスは不安気にオリヴィエを見つめる。果ては綺麗に着付けられた浴衣の裾を捲り上げられ、スラリと伸びた脚をなで上げられる。
「や!何なのだ?」
ザワリと背中に悪寒が走る。こんなことが着付けに必要なのだろうか?ジュリアスはおろおろと周囲を見渡した。
「クラ……」
クラヴィスに助けを求めようと声を上げるが。スッと視線を外される。先ほど助けを拒んだせいでまた元の険悪な関係に逆戻りしたのだろうか…。ジュリアスは言い知れぬ喪失感に項垂れ考えこんでしまった。聖地とは別人のように優しく接してくれるので、頼りすぎていたのかもしれない。元々好かれているとは思っていなかったが、ここ来て嫌われていたわけではないと思い、勘違いしてしまったのだ。きっと、あまりにも何も出来ないので呆れて手を貸してくれただけなのだ。それを都合の良いように解釈され、迷惑だったに違いない。
ジュリアスは悲しみに痛む胸をそっと押さえて目を瞑った。
「ジュリアス様?」
オリヴィエの手を捻り上げながら、オスカーがジュリアスに声をかける。好き放題触っていたオリヴィエに業を煮やしジュリアスから引き離したのだが、肝心のジュリアスが胸を押さえたまましゃがみ込んでしまった。
「あ〜湯当たりですか〜ジュリアス〜」
年少組の浴衣を着せ終えたルヴァは、床にへたり込んだジュリアスに駆け寄り、その顔を覗きこむ。
ぎゅっと寄せられた眉に苦痛の跡が感じられる。慌てて駆け寄る面々にルヴァがてきぱきと指示を出す。
「ジュリアス、コレで冷すと少し良いと思いますよ〜」
冷水で絞ったタオルが差し出される。ひんやりとしていて気持ちが良い。湯あたりを起こしたのではないが、優しく触れられる手を拒めはしない。
ジュリアスはタオルで目許も覆うと、深く深く息を吐いた。
誰かが風を送ってくれているらしい。タオルに冷された肌を風がすっと撫でていく。
「ジュリアス様…」
オスカーの声がすぐ近くで聞こえ、その後遠慮がちに背中に触れる手があった。顔とは反対に背中がじんわりと温かくなる。
「ジュリアス様、これを少しお飲みください」
リュミエールの声に顔を上げると、ちょうど口許に冷たいグラスをあてがわれる。そのままリュミエールの手から一口飲み下す。喉がコクリと動くのを確認され、もう一口。
「どうです〜ジュリアス、少しは楽になりました?」
ルヴァの声に頷く。
ぼんやりと周りを見まわすと、皆心配気な様子で佇んでいた。ただクラヴィスだけが見当たらない。
きっとこんなに世話を掛ける自分に呆れて、何処かに消えたのだろう。
ジュリアスはまた痛み出した胸に、瞳を揺らしじっと耐えた。